本題!
首里城が築城された丘陵地帯は、陽が上がる東が高く、
陽が沈む西は開けて低い、地形になっています。
それで「龍が来る、気が溜まる地」と云われています。
首里城正殿は、西に向いていて、その先には波上宮があり、
さらに海の向こうには、福建省福州がある。そこは、琉球の使節団が
明や清に朝貢のため最初に足を踏み入れる場所です。
ここを拠点に外交や商取引が行われていたそうです。
龍も琉球人も東の空より起こり大望を抱いて西の中国を目指したのでしょうか…?
ロマンを感じますよね〜! ……浸る……
中国まで飛んじゃいましたけど、舞台を首里城に戻します。
琉球風水は、中国の影響を受け、方位より地形を重視した独特の思想で
確立されたものだそうです。
正殿背後の東が上方位。前面の西が下方位。右(北)には城壁のような峰を有し。
左(南)には緑と水を有する。
そして、右の峰と首里城の間、左の緑・水と首里城の間、
いずれにも東から西に向けて川が流れ、谷となっています。
その両側の谷に挟まれた高台に首里城はあります。
右の峰に沿って流れる真嘉比川と左の谷を流れる安里川の源流は、
なんと……共に弁ヶ嶽なのです。
まるで計算されたような理想的な地形と云えるでしょう。
また、首里城前面には、西へと延びる綾門大道(アヤジョウウフミチ)があり、
(まるで中国まで延びるかのように……)
その先に、唐営(久米村)、波上宮があるのです。
琉球風水思想の方位感からすると上方位東(アガリ)が玄武。
低く広がりを持つ下方位西(イリ)が朱雀。
右に位置する、東から西へ連なる城壁のような峰、虎瀬山〜末吉山が白虎。
左は、緑と水の雨乞嶽・識名園・高津嘉山が青龍となります。
さらに、王府から厚遇を受けた琉球八社のうち
三社も配されています。
ひとつが先述の波上宮。
もうひとつが北側にある末吉山の末吉宮。
あとひとつが、南側にある識名宮(識名園近く)です。
(波上宮以外は風水と関係があるかどうか確認できません)
話を広げすぎたかな〜?
弁ヶ嶽の頂上から首里城の背中、さらにその先の那覇を眺め
東シナ海の西の中国まで想いを馳せたとき
政治・経済の中心地に選ばれたこの地が
奇跡的な特別な場所のような気がしてなりません。
首里王府は、四神によって守られ、栄華を極めた……。
どこまでが史実か確認できませんが(あるいは伝説?)
そのような視点で首里を眺めるのも一興かと……
ただ…、新たにひとつ疑問が浮かび上がってきました。
それは、琉球風水って、ほかの地でも方位と四神の配置は同じ?
だって地形重視だと各地で四神の配置が変わりゃせんか?
琉球の中では統一されているの?どうなのよ?
という問題です。
スインチュとしては、よ〜んなぁ、よ〜んなぁ、考えることにしよう!
次回や、「ビンヌウタキ」ぬくとぅやてぃんカタヤびら!
あんしぇ〜ぐぶりーさびら!
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