浦添城跡の「ハナリジー」別名:為朝岩
… を撮影するために訪れた公園は
浦添市「経塚」の地名の由来となった史跡になっていました。
場所は、首里平良町〜安波茶通り沿いで浦添工業高校近くに在ります。
案内板によると
昔、この辺りは松が生い茂る人里離れた
寂しい場所で、ここに巣食う妖怪が
道行く人々をたぶらかしていました。
16世紀のはじめ、高野山で修行した
日秀上人(にっしゅうしょうにん)が
お経(金剛経)を書いた小石を埋め
その上に「金剛嶺」(こんごうれい)と
刻んだ石碑を建て妖怪を鎮めたと伝えられています。
その後、地震の時に「チョウチカ、チョウチカ」と唱えるとおさまると
信じられるようになったそうです。
お経を埋めた塚を経塚と云い、この地域の名前の由来になったそうです。
ちなみに、金武観音寺は日秀上人が建てたお寺だそうです。
冒頭で記述した「ハナリジー」です。
中央の尖った岩がそうです。浦添城跡の東側、
最深部にそびえ立っています。
あいにく城跡側からは、立ち入り禁止区域になって近づけません。
よって北側の霊園からアクセスするしかなさそうです。
為朝伝説
伊豆大島に流された源為朝は、後に琉球に渡り
大里按司の妹との間に舜天をもうけたという。
「中山世鑑」や「琉球神道記」に登場する。
為朝岩
ワカリジー(分かれ瀬) ハナリジー(離れ瀬)とも呼ばれている。
為朝は弓の名人として知られている。
為朝がこの岩に立ち、矢を放つとその矢は、牧港まで届いたと云う。
この岩が為朝岩と呼ばれるようになったのは
明治の末か大正の初めごろだとか … 。
コメントをお書きください